schizophrenie


chapterⅧ



虚構世界Ⅷ 「母への手紙」



僕はこの頃になってやっと、それはとても小さくてささやかなものなのですが、本当に人生を委ねてもいい愛に巡り合った様な気がしてい ます。それは昔好きだったロックンロールバンドをインターネットで何となく見ていて「自分もどんな形でもいいから『きちんと』人を愛 したい」と強く思った事により見つけた愛でした。

僕の人生を取り巻く運命は結構大袈裟なモノだったと自分では思うのですが、人からどんなに素晴らしい事を教えられても例えどんな特別 な能力を持っていたとしても、どんな立場を与えられたとしてもどれ程立派な信仰を持っていたとしても、その「瞬間」に愛がなければ人 生は全くの無意味なのではないかと今は痛感しています。

例えばその愛が人から見ればどんなにつまらなくささやかなモノであっても、暴力や栄光、権力や財と比べれば無に等しいものであって も、人が最後に求めるのはやはり愛なのではないかと思っています。ひょっとしたらこれは「あまり愛されていない人」の話であって、愛 がたくさんある人の場合は又それなりに大変なのかも知れませんが‥(笑)。

今僕は、この小さな愛を自分なりに大切にしながら、一生懸命生きていけばやがて順番に周囲の人達の心にも伝わっていくだろうと信じて います。自分に大きな誤りがあるならその時にまた気付く事が出来るでしょう。その時に人から「気付くのが遅すぎる」と言われるかも知 れません。しかし人の心無い言葉を気にかけて乱心せず、時には神様を、時には自分自身を、時には愛を信じて進めと言うのも僕が長きに 渡り聞いてきた事です。

あらゆる暴力的な誘惑から自分自身を守るのは理法でも信仰でもなく愛なのであり、その愛を守るために例えば信仰があり理法に仕えるの ではないかと今は思います。はがゆい話だとは思いますが、これが彦ちゃんの親孝行同様、僕の運命の中での僕なりの母に対する真実であ り、機会毎に親戚のみんなとも話したりしながら進んで行きたいと思っています。

先日荒井の叔父ちゃんが叔母ちゃんの事を気に掛けながら僕に一生懸命話しかけてくれました。男同士だから出来ると言う事もあるかも知 れませんが、親戚だからという事でなく人間としてとても温もりを感じとても感謝しています。僕ももっと心を開いて話せば良かったかも 知れませんが、会長様家を挟んだ麻倉家と荒井家の間には言葉に出来ない隔たりがあるという事もあるかも知れませんね(笑)?

例えば叔父ちゃんに麻倉の長男と言われる時、僕はお祖父ちゃんが迷った末に教会の役員になる事を了解したという事を思い出したりしま す。突っ込んで言えば、その迷いの中には同和の事等も強くあったのではないかとも思います。信仰という事を言うなら初めの誓いはそこ にあったのでは?とも思います。それが会長様という人とうちのおじいちゃんの真の心の繋がりだったのではないかとも思います。

僕が上手く行かなかったのは会長様が同和問題に対する思いを振りかざし過ぎてしまった為に衝突がおきてしまい、まだ理解していなかっ た在日の、その人の愛を、受け止める心を完全に失ってしまっていた事にあったんじゃないかと考えたりもします。

例えば、お母さんには信じられないでしょうが、江川先輩が僕を殴っていたのは、まだ幼かった江川先輩にとって僕が「絶対に失う訳にい かない大切な人」だったからです(複雑な話ですが。笑)。江川先輩と僕は出会ってすぐにギターを介して打ち解け、お互い大好きにな り、江川先輩が
「たとえこの世界で一番綺麗な人が僕を好きだと言っても
たとえこの世界で一番綺麗な星を僕にくれると言っても
僕は何も要らない
お前だけが お前だけが お前だけがいてくれたらそれでいい」
と歌ってくれるのを僕はうっとりしながらその歌の意味を全く理解出来ず(その時僕なら、世界で一番綺麗な人に好きと言われればその人 を選んだと言う事です。笑)不思議な気持ちで聞いていたのですから。
寮で川口君との三人部屋になるまでは。

世の中にはそれ程不器用な愛もたくさんあります。

江川先輩がお母さんを訪ねて家に来た時の事を覚えていますか?あれは彼にとっては出来る限りの求愛行動だったのです。彼にとっては自 分自身の愛を信じる以外に生きる術がなかったし、僕には守らなければならないものがあって彼の愛を受け止める事が出来なかった。しか しそこで思います。どんな事情であれ人の愛を受け止める事すら出来ないものに信仰として何の価値があるでしょうか(笑)?

こんな話は長くなれば大変なので短めにしようと思いますが、少なくとも江川先輩を恨んだままでは僕自身の人生が開き様が無かったとい うのは僕にとっては真理だった様です。

例えば叔父ちゃん叔母ちゃんの僕に対する愛を僕自身が理解出来なければ僕自身が苦しむだけである様に、僕には江川先輩の僕に対する愛 を理解する必要があった。その時既に会長様は間違っていたし、だから江川先輩は懸命に「それは間違っている!」と叫んでいたというの が実情だったのかも知れません。

そしてその事件の中では僕は他の誰よりも純真で忠実だった。その事は今でも自分では誇りに思っています。人が地位や権威を尺度にして しか生きる事が出来ないのは仕方のない事です。それを批判しても仕方ないと思います。だけど僕にはお祖父ちゃんお祖母ちゃんからの信 仰によってそれ以外の「目」を与えられていた。これは感謝すべき事です。それは僕個人の運命であり、そのお陰で親戚や家族と理解し合 える時間を充分に持てなかった事は本当に申し訳なく思っています。
僕は会長様の野心に直接触れながらも本格的に信仰する気は全くなく、ただこの社会の中でどうしようもない事情の犠牲になり、僕自身が その様ななす術もなくあえいでいる人に出会った時に、自分なりにその人の心に触れる事が出来ればそれで充分であった様です。
「それこそが真の信仰」等と人に言ってはいけません。真の信仰というのは神一筋に生きる事で、僕にはそんな人徳はなく又必要もない。 それは僕の真実の心ではあるけれども、真実の心というのは尽くして受け取ってもらうものであって、ひけらかして威張るものではありま せん。
只、縁によって教祖の徳のある地でお母さんや兄弟たちと一緒に暮らすうち、僕を可愛がってくれた人達から音楽を教えてもらい、音楽な らば、複雑な身の上にあっても他人と心を通わせる事が出来るのだと知り人生を得、またそれに甘えてしまった為に普通人が相応の年齢で 学ぶべき事をきちんと学んでおらず、長男と呼ぶには不甲斐ないものになっており、これははっきり自覚、反省しなければならないし、人 に偉そうに言える事等は何もなく、ただ「真実ならば神が受け取る」という言葉を信じ、過去の不孝を改める為にも今ある小さな愛を育て 形にし、急いだり迷ったりしながら本当に大切な物を大切にして生きて行きたいと思っています。

荒井の叔父ちゃんは苦労人で、でも心の綺麗な優しい人で、曲がった事や威張った人が嫌いで難しい事が苦手な素敵な叔父ちゃんですね。 感謝しています。

叔母ちゃんは叔父ちゃんと一緒に苦労して誰よりも叔父ちゃんの痛みが分かるから、時には喧嘩しても我慢し合い、支えあって家族を大切 にして生きているのでしょうね。黙っていてもその優しさは伝わって来ます。あの家族が家族を大切にしたい気持ちはとても強く伝わって きます。
本当に素敵な家族ですね!
この様にして受けて貰う感動をまた励みにして頑張っていきたいと思います。