schizophrenie


chapterⅦ



虚構世界Ⅶ



どこかのアパートで死んで行くにも現実的には世間知らずな未青年であり、逃げ場もなく捕まり家に戻され、僕は毎日の殆んどを半狂乱の 様に泣き叫び、疲れ果てては眠りに落ちるという事を繰り返して過ごしていたのだが、まだ少年だった僕にとってそれはいつも、自分の存 在のジレンマに対する執拗な神との問答だった。
食べる事に抵抗し、空腹に無意識でパンを食べている自分に気付き泣き、時には呼吸に抗い鼻と口を押さえもがき苦しんだりした。
呪いを込めて言おう。甘え、馬鹿げているといくらでも言えばいい。僕はその時の「彼」を本当に気の毒に思う。

ジレンマに耐えかね木刀を持って公園に木を殴りに行った事がある。何十分か一人泣きながら木を殴り続け(その時、彼は絶対何かを探し ていたのだ)家に戻ると姉が
「何してたの?」
と聞く。公園で木を叩いていたと言う。姉が
「木がかわいそう。」
と言う。
「そうだったのか‥。」と僕は思う。

今ではその様なその時々の姉や叔母の言葉の意味も分かる。しかし今でも、普段僕は「分かるとか分からないとかいう事は最終的にはどう でもいい事」だとも思っている。
彼女らには死(そしてその裏返しである生だ)に触れる縁はなく僕の心には触れなかった。
ただ結果としての僕の社会性の無さを憎み、間接的に僕の宗教的精神を憎んだ。

僕にとって彼女らの言葉は「私にはあなたを愛せない」という以外の意味を持たなかった。そしてその後長い時間をかけて、僕自身が孤独 に耐えきれるだけの自分自身というものをを確立するまで、彼女らの言葉が事ある毎に僕の心を痛めたのは事実だった。その度僕はその代 償を社会に対し払い続けた。 追放、そして転職、貧乏生活(貧すれば鈍するとは良く言ったものだ)。


叔母は
「なぜお前には母さんの気持ちが分からんのだろう‥?」
と何度か呟く様にしかしはっきりと質問した。理解し合う事を試してもみたが無駄だった。母は「命がけで何かを出来る人間」ではなかっ たから、その場に居合わせた母が泣いてしまえば僕にはそれ以上何も言えなかったのだ。
僕は思った。親が子供の気持ちをまったく分からないのに子供に親の気持ちを分かれというのは封建制度の名残りなのだろうかと。
その程度の根性しか持ち合わせていないのに子供に「お前は一ヶ月200円で生活するのだ。」と言えてしまう勘違いというのはやはり権 力に惑わされた人の気の迷いなのだろうかと。
僕の心は今でも宗教的であり、ある時他人の逆恨みに巻き込まれる様な形で刑事事件を起こしてしまった時でさえ(僕の無実は証明された のだが)ただ悟る事によって突破口を探した。
「神様は乗り越えられないものを目の前には置かれない」
という言葉を信じていたから、あらゆる迷いと格闘した。
「そうじゃない‥。そうじゃない‥。心の‥、持ち方を前向きにするんだ。何かに気付く事を求められているんだ。」
と思い続けた。
「負けてたまるか!くそっ!負けてたまるか!」
と念じ続けた。

その事件を起こして数日経ったある夜、電話で母が一言言った。
「あんたえらい事になっちゃったなぁ‥。」
と。

そうだったのか‥?と思おうとしたが今度ばかりはそう思うわけには行かなかった。
「えらい事になっちゃった」というその言葉を受け入れてしまえばその瞬間に全ての意思は再び崩落し、「それまでの全て」は跡形もなく どこかに消失してしまうであろう「その時の状況」であった事は僕にとって火を見るより明らかだったが、それを母と議論しても無駄なの も分かっていた。
「まあ頑張るわ‥。」
と母に言った。が、母の言葉を完全に自分の中から排斥しなければ生きていけない自分自身をその時初めてはっきりと実感した。
「えらいことになっちゃった‥。」
「そうじゃない!そうじゃないんだ!負けて‥、たまるか!!」
その時、愛する守らなければならない「ある家族」がいたのは救いだった。そして僕は「えらいことになっちゃったと言った母」を「生ま れて初めて」心の外に追いやった。


母は僕に繰り返し言っていた。人を助けるのはまず自分の基板をつくってからだと。
社会において人が自らの基板を作るためには競争が不可欠であり、競争社会は弱者を保護する様には出来ていない。
セーフティネットと呼ばれる様々な法やシステムでさえ真に弱者を保護している様には到底思えない。
神を名乗る存在はいつも弱者に焦点を合わせ、見つめ、愛する事を望んでいる。
僕の過去の記憶の中に鎮座したその望みは、その「事件」が起きた時にも相変わらず僕に無理難題を押し付けた。そして僕はその様な 「彼」の要求の中で、僕なりに「彼女達」と付き合っていくしかなかったのだ。
僕は今でも確信している。
弱い者を責めても何の問題解決にはならないと。
精神の問題は、自分がそれを受け止める事が出来ないなら我慢するか諦めるかするしかないのだ。

しかし我慢というのは人間には限界がある。絶対にある。
心の底に憎しみや怒りを持っているうちは、我慢が限界に達すれば爆発し傷口を広げるだけだ。そういうものなのだ。
何か解決しなければならない問題がそこにあるのなら、その問題に関わるお互いを理解し合う様に努める以外に真の解決の手段はないとい う事だ。

その理解に原初から含まれている我慢を、
自分達の人生の中で、
愛や慈悲、
共感、
喜びや悲しみの涙、
笑顔や、
そこから生まれる知恵の言葉によって消化し、
そこに含まれている自分自身の人生をも昇華する様な精神行動をその宗教の教祖は「堪能」と説かれていた。
それは「真心から喜べば真実は伝わる」という話だったと僕は思っている。