schizophrenie


chapterⅥ



虚構世界Ⅵ



優等生でいつも中間、期末試験ではトップの成績を収め、一部友人には取っ付きが悪いものの将来を約束されたかの様な優秀な布教師の卵 の没落は、家族を含めた周囲の人間の心をも強く刺激した。
僕は自分の存在に強い違和感を感じる様になり、生きていても死のうとしても人に不快感を与え、何よりも「どの様にしても」母を喜ばす 事が出来ず驚かせ取り乱させる様になってしまった自分自身の存在を力の限り呪うようになっていった。

しかし神の存在は信じていた。それは当然の事だった。もしも誰か、その時の僕の心境に立つことが出来るなら考えてみて欲しい。僕には そんな風に器用に手の平を返す事は出来なかったのだ。
そこは魂の闇であり死の入り口が見えている地獄だった。家族ですら多くはその入り口の恐怖に触れただけでその恐怖が持つ痛みに怒り、 その攻撃対象として結果的に僕を責めた。そこは針のむしろであり修羅場だった。

そしてその様な中で周囲の人間と話すうちに少しずつ、僕の抱えてしまった「闇」を人が理解する事はないだろうという事を僕は直感的に 知っていった。僕が「それ」を言葉で言い表す事が出来なかったという事もあったかも知れない。

僕は何度も自殺未遂を繰り返す様になり、教団の計画に全てを懸けていた会長と信仰よりも僕の命を守りたいという思いを持つ様になった 母、マーチング・バンドの全国大会やその他様々な人々の思惑の狭間で学校と家と病院を行ったり来たりする様になっていった。

そんな事を繰り返すある日、自殺未遂をする様になってから顔を合わせる事が多くなった高等学校の保健室の女性教師が僕に
「麻倉君が本当に死にたいなら‥神様はきっと死なせてくれる」
と言ってくれた。
当時の僕にとってこれ程に暖かい言葉はなかった。今この文章を書いている時でも彼女の言葉に深く感謝している。
彼女が彼女自身のどの様な経緯によってその時の僕の気持ちを理解する事が出来たのかについてはその後も考え続けたが、とにかくその時 初めて僕は「やっと分かってくれる人がいた」と思ったものだ。
それは厳しい冬の寒さが続くある日の午後に一瞬出会う、ほんの少しだけ春の訪れを予感させる暖かい木漏れ日の様にさえ感じられた。
その後僕が生き残る為に家族をも含めた教団から脱出するエネルギーを持ちえたのは、ひょっとしたら彼女のこの言葉の一押しがあったか らかも知れない。


その後も僕の周囲の人間達が僕を理解する事が出来ないのは僕自身の運命なのだと思って諦めていったし、逆にポジティブにその運命を意 欲的に生きていこうと思う事もあった。ただそれと並行して家族などに対し、「その事で僕を責めるのはお門違いだ」と思う様になって いった。
日頃の志が足りず辛抱も無く、その痛みに触れるだけで感情的になりパニックを起こし怒りと争いを拡散する事しか出来ないのならば、怯 えて、真実には触れず沈黙を守っているしかないのだと思う様になった。
僕の存在は僕一人だったのだから僕が変われば一番良かったのかも知れない。でも心というものはそんなに簡単には変えられないのだ。

とりあえず何処かのアパートの小さな部屋で寝転がって死んで行きたいと思う様になった。それが一番安らかな様な気がした。その様な希 望が再度僕を名古屋に向かわせた。
ハードケースに入れたギターを持っていた。死んで行くのに歌は必要だった。歌に抱かれて死にたいと思っていた。歌だけが唯一、その教 団の言葉から完全な自由を確保していたのかも知れない。遠い町の線路沿いのアパートで、電車の通り過ぎる音でも聞きながら安らかに死 んでいくというそのイメージは、「生きる」という事をまだあまり聞かされた事のなかった僕自身の初めての「生」のイメージだったのか も知れない。だからこそ、保健室の女性教師が「麻倉君が本当に死にたいなら‥神様はきっと死なせてくれる」と言ったその時に僕は 「やっと分かってくれる人がいた」と思ったのかも知れない。

名古屋駅からローカル線に乗り換えて十五分程のところにあった従妹の住んでいた町には、子供の頃の毎年の夏休みの想い出がたくさん詰 まっていた。当時教団の持つ保育施設で働きながら、貧しく(一ヶ月の全収入が五万円だった。市役所の税務課員がそれでは生活は出来な いと言っていた。実際に母はそれで生活していた。)子供四人を育てていた母の負担を軽減する為に、叔父と叔母が毎年夏休みの間だけ僕 達兄弟を預かってくれていたからだ。
従妹の家の隣に僕より一つ年上の秀兄ちゃんが住んでいた。そして僕達は一ヶ月足らずのその期間を、宗教の町を離れ子供心に思い切り羽 を伸ばして過ごしていた。
何十メートルか置きでほぼ等間隔に、縦横升の目に区切られながら視界一杯まで広がるアスファルトの田んぼ道を、秀兄ちゃんと従妹、兄 弟達と、秀兄ちゃんの飼っていた犬を連れて夏休みの間毎日思い切り走り回った。
農業用水路でのどじょう取りやトンボや花火。貼り絵やブロックや建具屋を営んでいた叔父がどこかから買ってきてくれた払い下げのパチ ンコ台、限られた生活費の中から叔母が僕達の為に貯めていたお金で夏休みの間振舞ってくれた毎日のご馳走や、夏の一大イベントの海へ の宿泊旅行、近くのショッピングモールでの買い物、姉のピアノ演奏やドラム缶の焚き火、暮れて行く夏の太陽と一面の夕焼け、子供同士 の夜の談笑。
八月が終わると同時に、そんな何もかもは切り取られた写真の様に「非現実の記憶」として別の引き出しに仕舞い込まれ、母と自分達の住 む町に帰り新学期を向かえるのだった。


小学校五年生の夏休みが終わった頃、僕は毎日日記に「秀兄ちゃんに会いたい。」と書いていた。ある日担任の女性教師がその日記に「学 校の友達と遊んだらどうですか?」とコメントを入れた。保護者面談でも「僕が毎日『秀兄ちゃんに会いたい』と日記に書いている」事に ついて女性教師が心配していると問題になったらしい。
しかし僕にしてみれば「奴等はみんな」僕とは感覚がずれていた。その女性教師はその教団の始祖である教祖の血筋の人間であったらし く、同じく生徒の中でも「教団の歴史を共にした先人」の末裔である生徒にはいつも深い関心と理解を示した。その様な関係は「その世 界」では「その個人個人が生来持っている人間としての徳分」として理解されるのが通常だったし、学校生活の些細な日常の中でもその女 性教師の感情が一部の生徒とのコミュニケーションにより高揚する事があれば、授業を中止して「彼ら」を誘い生徒全員でドッジボールに 興じたりしたが、授業が中止になりドッジボールが出来るのは嬉しかったものの「僕が部外者である事はいつもはっきりと感じ取ってい た」からだ。
その女性教師の授業中止は日常的にあったので、教師によっては「生徒相手にという屈折した形」で苦言を呈する者もいたが、その様な普 通の小学校ではあまり有り得ない事態も宗教法人特有の理解により特に大きな問題にはならなかった。昭和という時代のせいもあったのか も知れない。それはそれでいい。しかしその様な環境がまだ少年だった僕個人の精神に大きな圧力を掛けていた事には間違いはないだろ う。そして十五歳になり死を決した僕ははっきりした当てがある訳でもなく、漠然と向かった名古屋の駅から手探りの様におぼろげで頼り ない風景の記憶を辿り、そのローカル線に乗り変え従妹の住む町の駅を降り、駅から真っ直ぐ伸びて広い田んぼの中の風景に入っていく幹 線道路を歩き出したのだ。一人でここまで来たのは初めてだった。


物心付いてからずっと極端に宗教的な教育しか受けていなかった僕は普通では考えられない程世間知らずだった。しかしとにかく手に持っ ていたギターのハードケースは大きく目立つので、目に付いた商店の店頭で暇そうに店番をしていた見も知らぬ叔母さんに、「すみません がこれ少しの間預かっていただけないでしょうか?」と頼んでみた。その依頼は困惑気味にしかしはっきりと断られた。当然だった。

仕方がないのでとにかく見つからない様に、音をたてず気配を殺し、その頃には叔父、叔母の家とは別棟になっていた従妹の部屋に静かに 接近し中に入った。

突然忍び込む様にしてやって来た僕を見て従妹も声を殺して驚いた。
が、その頃時期を同じくしてまるで僕と同調する様にドロップアウトし、その町でも有名な不良少女(明るいタイプの不良少女だ。暴走族 のヘッドクラスで捕まっては警官と笑って話すタイプの派手な姉ちゃんと言ったところだ)になっていた従妹は、僕の行為には特に理解も 反感も示さずただ黙って僕を匿ってくれた。

しかしその時には既に母から叔母へ、僕が家から居なくなった事、僕が叔母の家に行く可能性も充分にあり注意しておいて欲しいという旨 が連絡されていた(母にぬかりがなかったのだ)。
叔母は平静を装っていた従妹の様子の微妙な変化を察知した。そして「向こう」からバタバタッと大きな音がしたかと思うと従妹の制止を 払いのけ、従妹の家と叔母の家の連絡通路の扉から凄い勢いで部屋に飛び込んで来た。

僕は逃げた。靴を履く間もなく部屋から飛び出した。玄関の引き戸がバーンと壊れる程の音を立て僕は裸足でアスファルトの道路を思いっ きり蹴飛ばし走った。
子供の頃の想い出の、懐かしい夏休みの風景の中で、
「捕まったら何もかも終わりだ!」
という言葉だけが支配する様に強く響き渡っている。

何故‥、
母の保護の中でのリアルな風景と‥、
僕自身の人生のリアルな風景は‥、
「こんなにも」違うんだろう‥?

それは同じ風景なのに全く違う場所だった。
叔母が自転車で追ってくる。僕は死に物狂いで走り脇道をいくつか折れる。叔母も必死で追いかけてくる。自転車で追えぬ様に僕は裸足の まま田んぼの中に入り込む。双方身動き出来ぬ状態になり問答となる。

「なんでだ!?なんでお前には母さんの気持ちが分からんのだ!?」
激昂が頂点に達している叔母は泣いて叫ぶ。
「ほら!そうやって泣くやんか!」
と僕は叫び訴える。
「お前の為になんか泣いとらへんわ!叔母ちゃんはお母さんの為に泣いとるんじゃ!」
と叔母がいう。

僕の中で「ハッ」と何かが冷める。
そうだったのか‥。迷惑かけちゃいけないなぁ。どこか他のところに行かなきゃ、、。
とそう思ったのだった。