schizophrenie


chapterⅤ



虚構世界Ⅴ



この様な当時の「失脚した教団の過去の権力者と僕個人の成長期における人格形成の関わり」について僕の家族、親類は何も知らなかっ た。麻倉の長男として冠婚葬祭、親戚の集まり、諸般の雑用に出席する事があっても常に、これらの「事件」とは一線を画した態度、振る 舞いを要求された。
その時期に起こったあらゆる事件を僕の家族は全て「終わった事」として処理したい様だったし、話し合いの機会を設けても僕自身心が痛 めば言葉が感情的になり、大方の場合はその感情的になる事自体が問題視され、話を制止され諭されて遂には誰にも話せずじまいで終わっ てしまった。
しかし徹底した過去の教育によって潜在意識下で、一人ででも教団の「その理念」の復活を無意識に果たそうとする僕にとっては、その様 な事件の中での自己犠牲、我慢等というものは取るに足らない事だった。相手がものを知らないから自分が我慢しなければ仕方がないのな ら我慢する。僕にとってもっと重要だったのは常に「理解しようとしても相手の気持ちが全く理解出来ず苦しむ事」だった。

在日の先輩と僕はもう少し複雑な「愛憎」の関係だった。
彼はナイーブで頭のいい人間だった。
彼は何処かでは僕と友達になる事を求めていたしある意味では僕と彼は友達でさえあった。僕達の寮部屋の割り当てが「三人部屋」になる までは。
彼はある日僕に「お前は親の教育が悪いねん。」と言った。高校時代、母は僕にとって最も大切な人だった。

誰でもそうなのかも知れない。

しかし、左脳の司る行動をことごとく教団に身を尽くす様に自ら規定していった結果、右脳が受容する現実的な僕自身のレーゾンテートル は実の母のみでありまた、中学校を卒業するまでリアルな人間として唯一人、無意識下の心が人間として触れ合い安らぎを感じる事の出来 る存在も母だけだった。

誰でもそうなのかも知れない。

もういい。

僕は世界一のマザコン野郎だった。
とにかく母を否定される事は決して大袈裟でなく「とてもきつい事」だった。


教団の教えの中に「ありがた菊郎さん」という人の話があった。
その宗教が教団となる以前の昔に菊郎さんという素晴らしい人がいて、どの様な事でも「ありがたい。ありがたい。」と喜んで悟る事が出 来る人の話だった。
ある時期から僕が校内で「革命」を決意し、怯えたり助けを求めたりする同級生達に
「俺が先陣を切って事件を起こすからお前たちはあった事を証言しろ!絶対に裏切るなよ!」
と言い、同級生達の
「裏切るわけないじゃないか。」
という言葉を確認し、その在日の先輩を殴り寮を脱走した結果「自宅待機」していた時に尋ねて来た当時の校長との話の中でその「菊郎さ ん」の話になった。

僕はまず校長に「寮内で自分たちに起こっている事について同級生達に聞いてみて下さい。」と言った。校長は「福田に事情を聞いてみた が『ただの喧嘩でしょ?』と言っていただけやぞ。」と言った。会長を恐れる校長が事態に慌て、事件を握り潰したのだという事を明確に 悟ったのはずっと後の事だった。
その頃の僕は余りにも馬鹿正直すぎて、ただ校長の言葉に驚き、戸惑い、愕然とするばかりだった。大人の世界は汚く、当時の僕達の理想 からすれば教団等という社会構造が腐敗するのは自明の理だったのだ。それが「人間のする事」なのだ。
純粋過ぎた僕が校長に握り潰されたという言い方も出来る。しかしそんな事は本当にどうでも良い事だったとも思う。ただ僕の成長期にそ の様な事件が起こったのだという事実をを受け入れる事の出来ない人間と、僕は心を分かち合う事が出来なかったという事のみが、その後 僕が生きて行く上で現実的に最も重要な問題であった。今ではそれは仕方のない事だったと思っている。
「菊郎さん」の話だ。僕は校長にこう話した。
その在日の先輩の実家からある日先輩の元に和菓子の差し入れが届いた。
先輩が怒りながら僕に「お前が全部食え!」と言ってその和菓子をつきつけた。(その頃にはこの先輩も毎夜僕に暴力を振るった。あの高 等学校はストレスと悟りの臨界点だったと思う。だからこそマーチング・バンドの様に伝説的な奇跡も起こり得たのかも知れない。)。

一人の時に僕はその和菓子をいくつか口に放り込んだ。砂糖の塊みたいで一つ食べただけで喉がカラカラになるその和菓子の一箱全てを、 限られた時間の中で一人で食すのは僕には現実的な事に思えなかった。
僕はその和菓子の箱を持ったままこっそりとトイレに行き、トイレの個室内で「最後の一個」と決めた一つを口に放り込みモシャモシャと 頬張りながら、残りの個包装を全て開き、その中身の全てを便器の中に捨てトイレの水で流した。

その時先輩が何故怒っていたのかが分かったのは遥か後日の事だった。先輩は「美味しくない和菓子が差し入れられて来たのは僕のせい だ」と確信していたのだ。(理解に苦しむ読者もいるかも知れない。でも理解出来る出来ないに関わらずこれは実際に僕の身に起きた事だ し、現実の世界にはそういうモノの考え方をする人はたくさんいるという事を今では僕は知っている。)
しかしそれらは僕がトイレの水に流す事でそれで済んだ事だった。ただ校長との話の際、その和菓子の件について理解を求め一蹴されたの が「菊郎さん」の例え話だった。
僕は確かに話の初め、「僕は菊郎さんになろうと思った」と校長に話した。だけど話が続き、「自分の実家から送られてきた和菓子が気に 入らないなら自分で捨てればいいのに何故それを僕に全部食べる様強要するのか、そういう気持ちが理解できなかった」という趣旨の話を した時、校長は一言
「何を言うてるんや!君の菊郎さんがどこまで続くかと思って聞いていたら‥!菊郎さんならお菓子を貰って怒ったりせんやろっ!お菓子 を貰って喜ばずにいてどうするんや!」
と僕を叱り一括したのだ。

弾圧。

頭が悪いというのもあるのだろう。これは酷く間違っていると今でも思う。信仰か何か知らぬが人の心というものを考えて生きている様に は到底思えない。校長は何よりも会長が怖かったのだろう。

教団が社会ならば僕のドロップアウトはここから始まる。しかし僕は「ドロップアウトの手段として神に反逆するという手法を取る」程に どこまでも信仰的だった。そういう考え方しか知らなかったのだ。