schizophrenie


chapterⅣ



虚構世界Ⅳ


時々胸の痛みに一人耐える時、遠い昔の「彼」の心の傷を感じる事があった。
高等学校で出会ったある野蛮で無知で無教養、悪人ではないのだろうが宗教関係者特有の一風変わった先輩が僕を可愛がってくれた事が あった。可愛がる?なんて言えばいいんだ(笑)?

傷を裏返せば姿を見せる屈辱をなだめながら表現する事は難しい。屈辱とはプライドに属するものであり、自分の些細な表現ミスによって 自分自身のプライドが傷付くのを恐れるからだ。しかしその様な状況は僕が最も嫌悪する表現操作、すりかえ行為にとてもよく似ている。 そしてその新たに生まれたジレンマが又プライドを底なし沼に引きずり込もうとする。
「お前は嘘吐きだ。お前の言っている事は初めから何もかも嘘ばかりだ。」
と。
意識は再び混沌の中をさ迷い始めその混沌の中で、唯一つ形を持つはっきりとした記憶が「愛だけがプライドを克服出来る」と僕に訴え掛 ける。愛はどこにあるのだろう‥。

少なくともその時高等学校で稼動していたシステムに僕のプライドを守る為の機能は存在しなかった。僕はその時その「機能」を結構必死 になって探したと思う。

分かるだろうか?その時僕はまだ十五歳の少年だった。
僕は会長のお墨付きで入学試験もトップの成績で入学し、入学直後の規律訓練、全体朝礼等の際には学年代表として号令も掛ける役割の優 等生だった。教師も寮の舎監達も事ある毎に僕をおだて誉めそやした。ちょっとした事にでも「さすが麻倉やなぁ」と感心する素振りを見 せた。しかしそれらの態度は簡単に言ってしまって申し訳ないが、要するにそれらの教師や舎監がその社会に存在し続ける為に、当時の絶 対的権力「会長」に胡麻をする為の僕に対する「依存」でしかなかったのだ。だから状況が変わり僕自身の存在が彼らにとって「デリケー トな問題」になった時、結局のところ権力を恐れる彼らは手の平を返し「僕の心の奥に芽生えたもの」から注意深く目を逸らし僕の存在を 黙殺したのだ。

最後に寮の事務所に忍び込み、薬箱にあったピリン系の「酔い止めの薬」を百錠持ち出し、(そして管理体制だけが取り沙汰される)誰も いない寮の洗面場の床に座りこみマイ・ウェイを歌いながら少しずつその全てを飲み干す「最後の自殺未遂」以前にこんな事があった。

その頃には僕の留年問題が持ち上がっていた。自殺未遂、入院、自宅待機を繰り返した為に進級する為の出席日数が絶対的に不足していた のだ。もう一度自宅待機になれば留年は確定になるが、そのまま学校生活を送る事で「僕の身に本当に何かがあった時の学校の責任問題」 という事もあり、それで校長、担任の教師、母と僕の四人での面談となった。
担任の教師は
「みんなと一緒に進級して欲しい。」
と力を込めて言っていた。担任教師は日頃からの日記交換(クラス全員がやっていた)等で、何となくではあるが僕の心境や「その屈折の 原理」を感じ取っていたし励ましてくれてもいた。ただ彼は雄弁なタイプではなく日頃は無口で優しく大人しい「先生は難しい事は分から ないけど柔道の事だけはちゃんと教えられるぞ!」というタイプの人だった。
担任の教師の「みんなと一緒に進級して欲しい。」という言葉を聞き校長は僕に、
「麻倉君はどうしたいですか?一度家に帰りたいですか?」
と聞いた。僕はその時
「みんなと一緒に進級したい」
と言った。
母と校長はうつむき考え込んだ。母と校長の間では留年が確定してでも「僕の死という危険性の回避」の方向でほぼ話が固まっており、 「僕が何を考えているのかについてはさっぱり分からなかった」からだ。。校長が
「じゃあちょっとお母さんと二人で話しがしたいので、呼びに行くまで教室で待っていて下さい。」
と僕と担任に告げた。

二人で待機するいつもの自分達の教室で担任の教師は
「先生はみんな一緒に三年生に上がって欲しいんやけどなぁ‥。」
と少し声を震わせて呟いていた。僕は
「僕もみんなと一緒に三年に上がりたいです。」
と言った。
すると普段は大人しい彼が堰を切った様に
「お前が自殺とかするからやないかっ!なんでお前は自殺なんかするんやっ!」
と少し顔を紅潮させ、いつもよりはっきりと見開かれた目で正面から僕の顔を凝視した。恐らく彼はそれまでの人生で人を怒鳴りつけたり する事などなかったのだろう。力の込められた言葉は怒鳴り声にはならなかったが、それでも彼の目は戸惑う様に左右に動きながらしっか りと僕の顔を見つめていた。
僕は
「もう自殺なんかしません!」
と彼に告げた。彼の顔が変わった。
「ほんまか?麻倉?ほんまに先生にもう自殺なんかせえへんって約束出来るか?」
と彼は僕の両肩を手で掴み、僕の両目をしっかり見つめて聞いた。僕も彼の両目をしっかり見つめて
「約束します。もう自殺しません。」
と言った。


「待っていて下さい」と言っていた校長の元へ二人で廊下を歩いた。彼は少し恐怖に震えている様子だったが、それでも「そのドア」を開 けた。驚いた様に僕と彼の方を振り向く母と校長に彼は震えた声で、そのどこから来るとも分からない恐怖に抗いながら言った。
「あの‥、今麻倉君と二人で教室で話をしていまして‥、麻倉君が僕に『もう自殺なんかしない』と約束してくれたので‥、麻倉君をこの まま学校に残らせて頂きたいです。」
話し下手な彼はドアの所に立ち「きをつけ」の姿勢で少し震えながら母と校長にそう言った。校長は少し怪訝そうなその視線を僕に移し尋 ねた。
「本当ですか、麻倉君?本当にY先生ともう自殺なんかしないと約束したのですか?」
「本当です。Y先生と約束しました。もう自殺はしません。」
僕がそう答えると校長が母に何かを小さく耳打ちし、又二人で小声で話し出した。
「分かりました。ではもう一度お母さんと二人で話し合ってみるので、二人は又呼びに行くまで教室で待っていて下さい。」
と校長は言った。

教室で彼は窓の外の空の方向に目を向け、そしてうつむき、又空の方向に目を向け、空ではなく「彼の中の何か」を見つめながら言った。
「みんなで一緒に三年に上がれるといいなぁ‥。」
と。
大きな窓からは冬の晴れた空が広く見渡せていた。僕は彼への感謝の気持ちを言葉に出来ないまま、小さな声で「はい‥。」とだけ答えう つむいていた。

結局僕は一度自宅へ帰る事になった。担任の教師は落胆に震えていた。僕は特に驚くでもなくその結果を、既にそれ迄に持ち得ていたのっ ぺらぼうみたいに平坦な感情で受け止めた。その時校長が僕達に告げた言葉は僕の心には全く届かなかったが、要するに(初めから決まっ ていた様に。模範的な予定調和だ。)「僕の死のリスク」がそれなりのプロセスを経て回避されたのだった。

自宅待機からそのまま春休みが過ぎ、新年度に寮と学校に戻った。僕の留年は確定され始業式が済み、教室に戻って去年までの後輩達と席 を同じくした。特に何の感慨も抱かず、時の流れだけを無表情に見送っていた。
僕はその時腕時計を見ていたのだろうか?隣の席の生徒が僕に声をかけた。
「すいません‥。今何時ですか‥?」
その高等学校の先輩と後輩の上下関係ははっきりと厳しいものだったから、同じ教室の隣の席にいる僕に恐る恐る敬語で時間を尋ねる彼を 僕はとても気の毒に思った。そしてその思いはその時僕の中ではっきりと言葉になった。
「僕はここに居るべきではない。」
と。
そしてその日寮に帰ると事務所から酔い止めの薬を盗み出し、洗面場でマイ・ウェイを歌いながらそれを飲み、寮で新たに同じ部屋になっ た二人の元同級生に「俺寝るからなー。おやすみー。」と嬉しそうに告げ(嬉しかったのだ)、そのまま布団で眠りについた。暖かな四月 の初め、進級やクラス替え、寮の部屋替えの季節だった。目覚めたら病院のベッドで身体中に色々なパイプが繋がっていた。五日間程寝た らしかった。


先輩の話しに戻ろう。野蛮で無知で無教養、悪人ではないのだろうが宗教関係者特有の一風変わった先輩の話だ。

とにかくその大柄で力だけはやたらと強く、いつも何かニヤけていて何だか「盛り上がる」事ばかり考えているいかにも頭の悪そうな品の ないその先輩は、頻繁に寮内で酒を飲んで荒れて暴力を振るって周ったりしていたのだが(その寮の規律とこれらの素行の矛盾についてこ こで説明する気にはなれない。下らない原因に基づく下らない結果のくせにとても長い話になるからだ。)、その勢いで夜に僕を布団に誘 い込み自分のマスターベーションを強要するのだ。
最初は何とかして断っていた。断って野蛮人特有のストレスと腕力でボコボコにされた。体格だけはやたらとガッシリしたその人物の拳は 痛かった。それも彼は怒って殴るのではなくいつもニヤニヤと笑いながら僕を殴り続けるのだ(目は座っているのだが)。そして僕もその 先輩の「座っている目」を刺激して「狂気」に変貌させる事のない様に注意深く、笑顔を持続させながら「もう~。やめてください!許し てくださいってば~!」と懇願し続ける。こういう感覚って分かるだろうか?
そして同級生で可愛い顔をした者が同じ様な目に合い、その先輩の布団で彼の奇妙に曲がった汚らしいペニスを手淫させられた等という話 を噂に聞くうち、次第に信仰やら迷いやら暴力やらに疲れ果てた僕の小さな心の壁は崩落し彼の望むままに「手で彼を満足させる」事にな る。葛藤の中に解決の方法は見つけられなかったのだ(後に実証されたが教師も親も会長もその時にはやはり当てにはならなかった。)。
その際にはそれまでの厳しい教育や、「嫌な事は我慢して自分自身が悟る」と言う教団や僕自身の「宗教的なテーマ」もあったので「嫌々 ではなく喜んでやってみよう。」と思ってもみたのだが「こと性に関してはその様な考え方は当てはまらない」という真理を僕は体感する 事になる。
僕はその先輩の汚らしく奇妙に曲がったペニスを握り動かしながら彼の思いに同調し自分も感じようとしたのだ。
酒の匂いの混じった酸っぱい匂いの中で彼のペニスが快感に硬直するのを手の平に感じながら
「先輩、彼女が出来たらこんな事させるんですか?」
と話しかけてみる。先輩は笑いながら
「え?即やる!!」
と言っていた。
「これで気持ちいいですか?」
と笑ってみる。
「愛してるよ‥。」
と先輩が言う。そして射精へ導く。
僅か2回ほどのチャレンジだったが、そうする事で彼と分かり合い話し合う機会が持てる可能性もあるかも知れないと思っていた。そうい うのは普通世間では「犯される」というのだ。僕は信仰的精神上そういう「被害者としての言葉」は持ち合わせてはいなかったが、僕の中 に「犯された彼」がいる事は確かな様だった。
時が経ち時代が変わり、教団も何もかもが僕の家族にとって「何のメリット」をも持たぬ様になってから、時折家族が僕に「普通の社会 人」である事を求める時があった。そんな時には胸が痛んだ。元来傷ではないものが「傷として目を覚ます」のだ。分かってもらえるだろ うか?
その様な事件や事実について僕の家族は無関心ではないのだろうが聞きたがらなかったし、聞きたがらない以上僕も話さなかった。僕に とってその事件の中ではその先輩の話の例など本当に小さな事だったのだが、その様な「傷」と一人格闘し何かポジティブな答えを探して も見つけ出せない僕に家族は少しずつ疎ましさを感じるようになり、「何とかその状況を取り繕う事」に必死になっていった。
一つの大きな権力が交代によって失脚していく時にはその権力の周辺では多かれ少なかれその様な事が起きるのかも知れない。

心に訴えかけ求めても帰ってくるのは「空っぽの言葉だけ」だった。僕には抱きしめられ、慰められた事もないその傷を何も無かったよう に笑って振舞う事は出来なかった。家族も「僕の傷を癒せぬうちは自分達の傷を癒す事など出来ないという真理」には気付かなかった。出 来るならとっくにそうしていただろう。

僕はそれから何年か後、人々が僕達の事などもう忘れてしまったある日の夜、偶然その町の駅で見かけた「その先輩」の顔を今でも覚えて いる。
「おお!麻倉か!」
と、彼は懐かしい友人にでも出会った時の様に僕にそう言った。
汗をかき息は荒く、自転車で何か「彼にとって大切なもの」の為に走り周っていたのだろう。苦渋にも似た歪んだ表情は相変わらず彼独特 の笑顔を作っていた。きっと「どこかで見つけた瞬間的なドラマ」に彼なりに大いに盛り上がっているのだろう。
彼が僕の彼に対する思い等知る筈もなかった。自分が僕にした事などすっかり忘れているだろう。そういうタイプの人間なのだ。それは僕 の知る「いつも通り」の彼だった。ある時には「彼が選んだドラマ」によっては、「僕を助けてくれようとさえした懐かしい彼の笑顔」 だった。
そして彼は「彼の中のドラマ」に急かし立てられる様に自転車でどこかに走り去って行った。彼は全くの悪人ではなかった。僕は彼と分か り合えただろうか?