schizophrenie


chapterⅣ



純粋さ


アキラの意見は音楽的に抽象的で新鮮だった。

アキラはこう言った。
「暴走族でもミュージシャンでも一生懸命やりよるやろ?あれはホンマの不良ちゃうねん。ホンマの不良はな、一生懸命やったらあかんね ん!!」
と真剣に訴えかけた。

言葉の使い方がどうであれアキラの言うことは正しかった。簡単に言えば
「いつも好きで楽しんでやってなくてはならない」
という事なのだが、そういう事を意識するのと意識しないのとで全くその内容が変わってくる分野がある。音楽はそうだろう。

純粋さから音楽を好きになり、音楽を具現化する為にその純粋さを捨てた人間を嫌と言う程見てきた。 ある女性に
「あなたに伸び伸びと思う存分音楽をして欲しいからこのネットワークビジネスを一緒にやりましょう。」
等と言われた時には気持ちは有難かったが返答に困ったりしたものだ。一生懸命の矛先が狂えば人はそういう風になるものなのだ。それが 悪いとは言わないが俺はアキラの訴えかけたメッセージを忘れる事は出来ない。

それ位アキラは
「自分が音楽を聴いた時の心の揺れ動きが何なのか」
に強く拘っていたという事だ。
アキラにとっての音楽とは「人がどう感じるか」ではなく徹底的に「自分がどう感じるか」という事であり、その傾向には俺も随分感心し 感化された。アキラはそのイメージを言葉で「クエスチョン(?)」と説明した(笑)。

前出の言葉も要するに
「頑張るという事はアウトサイダー(不良)として生来持っている感受性の『無垢さ』を『無垢』でなくしてしまう事」
という問題提起であり、当時俺達は十代だったがその問題提起は表現者の問題としていつまでも俺に付きまとっだ。
その正否は別として、だ。
例えばテニスのジョン・マッケンローが世界ランキング一位になった際、
「テニスをするのに最も邪魔なのは何ですか?」
というインタビューに対し
「自分の身体だ。」
と答えたそれに似ているところがあると思い、改めてアキラの「ピュアさ」に思いを巡らせたりもした。

俺はというとその頃には必要以上に衣服等を買わず(着る服が無くなると給料日に西成の露店で恐らくは盗品であろうダニ付きのシャツを 買って洗濯もせずに着た)、一ヶ月も二ヶ月も風呂にも入らないという様な生活を送っていたりした。風呂など入る必要がないと思ってい たからだ。(まだ幼かった俺達はお互いを刺激し感化されながら、そのお互いを受け止める言葉の方向性が全く違ったのだろう。)

誰よりも汚いクセに(しかし真冬でもレジャービルの四階にあったタコ部屋の大きな窓を全開に開け放して、臭いがこもるという汚さじゃ なかった。傍によれば臭かったらしいが‥)人が機嫌取りに寄ってきて身体に触られたりすると「汚い手で触るな」とのたまい、何と言う かあの頃の俺達は傍から見れば相当に珍しいタイプの人種だっただろうと思う。
しかしそれなりに愛嬌はあり人の話しはきちんと聞くし、頭もそんなに悪くもなさそうなので結構たくさんの大人達が俺達の将来の可能性 について色々と助言してくれたと思う。ただその頃の俺は、「人間が決定し得る全ての事は単なる予定調和である。」と「たかをくくって いた」ので(笑)大人の説教にはいつも強く反発し辛辣に反論した。

その様にして俺の周囲の大人達が俺に偉そうにしなくなると今度は若い世代の奴等が群がってきた。日頃から抑圧されている「大人への対 抗心」を具現化させる為だったんだろう。「こいつなら何か大きな事をしてくれるかも知れない」とも思ったかも知れない。
でも俺達が真に求めていたのはそんな処世術でもストレスの捌け口でも成功へのプロセスでもなく、至極単純な「人間としての純粋さ」 だったと思う。 俺達は若かったというよりはガキだった。勉強(勉強以前の問題の事がほとんどだ)するべき事が山とあったのだ。

アキラと一緒にいて一番困ったのは、俺が「それは多分絶対に間違った事だ。」と思う事をアキラが「いや、本当はこれは別に構わない事 なんだ。」と思う時だった。逆もあったらしいが。

例えば夜二人で金も持たず歩いているとアキラが通りがかりのスナックで飲みたいと言う。毎度の事なので俺は怪訝そうに「行った事ない 店やろ?」と聞く。そうに決まってるのだ。俺に言わせれば「金がないから初めての店で付けで呑んで踏み倒す気」なのだ。
それでも初めのうちは付き合って同行したりもしたが、やはり最初の予想通り特に何かが得られる訳でもなく、段々とその様な時には俺は アキラに同行しなくなっていった。しかしそれでもアキラは一人ででも「その店」に入っていった。いつも必ずだ。
その当時の取り巻き連中が「そんな時のその後のエピソード」を神話とか伝説とか言って面白おかしく喋りたがる。今でも時々誰かからそ ういう言葉を聞く。その度にいつも俺は思う。神話?馬鹿言え!アキラはいつも俺に真剣に話していた。理解を求めていた。

「ちゃうねん麻倉!『呑むヤツの勝手』ゆーのがあんねんて!!」

と「いつも真剣に俺に訴え掛けていたんだ!」、と。

それは決してただの受け狙いのパフォーマンスでもなければストレスを吐き出す為の単なる無茶でもなく、アキラにとっては「この世界に 於いての真理の探究」以外の何物でもなかったのだ。

俺にとっては笑い話でも何でもない。俺達は社会の、世界のありとあらゆるモノを無視し純粋に「自分と世界の距離」を計っていただけな のだ。傍迷惑な話だろうが‥。