schizophrenie


chapterⅢ



虚構世界Ⅲ


高等学校は僕にとっては「神の社」だった。
 十一歳頃から母に
「会長さんはお前の為にあの学校を建てて下さったのだよ。」
と聞かされて育ったものだし、僕も
「大人になったら強い精神力を持った布教師になり必ずや世界中の不幸な人々を救ってみせる。」
と強く心に誓ったりもした。

会長は当時日本の人口がまだ8千万人位だった頃、「8千万人総たすけびと」というスローガンを元に布教の全国展開を志していたらし く、その延長線上として後継者である会長の子息の補佐として僕を育て、必ずやその野心に向け邁進出来ると確信していただろうという事 は後になって知った。

会長はそれ以前にも幾多の奇跡と思われる偉業を果たしてきた人物だったし、死後に発売された書籍が「なせばなる!絶対になる!」とい うタイトルである様な人物だ。まあ「その気」であった事に間違いはないだろう。

この様に書いても「只の誇大妄想に取り付かれたお山の大将」的な人物の話と思われる方もいるかも知れない。
しかしこの人物が
・「列島改造」や「航空機会社の収賄事件」で有名な元総理大臣が首相になった際にヘリコプターで挨拶をしに来た人物であり、
・当時の力士には珍しく異様に背の高いとある関取が横綱になった際に挨拶に来る様な人物であり、
・皇室の○○宮殿下とは友人関係であり、
・齢八十にして依頼されたとある関連教会の三百億円にも上る負債を寝る間も惜しんで奔走し「その教会の関係者全員に『質素に切り詰め る』という事を説得する」という手法をもって僅か三ヶ月間にしてその殆んどを返済させた人物でもあった。
と告白すれば少なくとも、「その状況」に於いての「僕を取り巻く現実性」が「個人では、ましてや非力な少年では簡単には無視し難いも の」であった事については多少なりとも理解してもらえるかも知れない。

僕はどういう運命の悪戯か縁あってというかありがたい事にというか、この人物に本当に溺愛された。この「愛された」という表現にも賛 否渦巻くのだが‥。
(もう外野の戯言は聞きたくないというのが僕の正直なところなのだ。)

母は僕に言った。
「お前は大人になったら一ヶ月200円で生活するのだ」と。
だからその頃から僕の自分の将来像はこうだ。
・まず寒さに耐えられる体と精神を作らなければならない。
・そしてまず洞窟を探して寝る場所を確保する。
・服や履物はその辺に捨ててあるもので何とかなるだろう。
・食料は、何せ予算が一ヶ月200円だ。まず「パンの耳」くらいしか買えないだろう。
・そしてとにかく神様の話をして周り、病気の人を祈りによって治癒する。
当時の僕には「それが全て」だった。
その後五年間程の期間をそのイメージに向け、常に自分の心の中の「神様」に対し「僕自身が世界の救済の役に立てる人間」になれる様祈 り続ける事になる。

小学校五年生から中学校を卒業するまでの五年間、大体にして恋愛の芽も、他人の愛情も青春も何もかも全てが「その信仰への決意」の前 に何の形も形成しないまま過ぎ去って行った。そして卒業を後数ヵ月後に控えたある日、当時の担任の教師の
「学校からの推薦で是非麻倉君にアメリカ留学して頂きたい」
との申し出に対し、会長が
「何を言っておる。あれはわしがつくった高校に行かせて教団の布教師にするんや!」
と一蹴する事で高等学校入学は決定される。

高等学校に入学し、皮肉にも僕はそこで「教団と対決せねばならぬ運命」に見舞われる。大まかに言えば僕の信仰はあまりにも「純粋で理 想的過ぎた」し教団は現実世界で多数の人間によって構成されるどこにでもありそうな「人間社会」だったからだ。
会長はそれまで個人的に同和問題にかなり力を入れていた。ただ、まだその時代に在日韓国人問題というのは社会問題としては現在ほどに は人々に認識されておらず(今でもきちんと認識されているかどうかは疑問だが‥)、幸か不幸か僕はそこである在日の先輩と微妙な関係 になってしまったのだ。
その感情を僕は「愛情」と表現したいと思っている。

誤解を避ける為に先に言っておくがこれからいう先輩の話は、その在日の先輩の話ではない。