schizophrenie


chapterⅢ





初め俺はバンドメンバーを探した。 楽器が出来る奴を片っ端から捕まえ話しかけた。
大体にして言えるのは「気のいい奴はヘタクソでそこそこウマそうな奴はとっつきにくい」という事だった。

バンドがしたかったもんだからバンドしてそうな奴の家へ行く。
どこの家にも壁があった。

じゃなくて、、

えーと、

そこにはいつも壁があった。俺はいつもその「友人達」の部外者だったのだ。余所者と言ってもいいだろう。 まあいい。

アキラには壁が無かった。

アキラを最初に見かけたのは俺が無理やりライヴハウスに「ここで働かせろ」と押しかけた為条件として手伝わされていたパチンコ屋の ホールでだ。
鬱陶しいウルサイ音の中でいつもの様に適当に自己主張しながらイヤイヤ仕事をしていたら、まるで「はぐれ雲」みたいなアキラがエレキ を背負いキョロキョロとパチンコ台を物色しながら通り過ぎていった。
一目見て「こいつカッコいい!」と思ったが他の客に「兄ちゃん、ちょっとこれ直してや。」と呼ばれて目を離した隙にアキラを見失っ た。客の用事を済ませ店内を慌てて探し、店の外まで追いかけてみたがもうアキラの姿はなかった。

数ヵ月後ライヴハウスのポスター配りでミナミのアメリカ村を歩いていたら偶然新聞配達をしているアキラを見かけた。奇跡的だった。
「自分や!自分!バンドやってんねやろ?俺とバンドしようぜ!」
俺の第一声はそういうモノだった。アキラは、
「おお、おお、やろうぜ!」
と言ったのだった。

その後の
「どんな音楽やってんの?」
「ああ、俺な‥、ソウルとか好きやねん。」
「おお‥、ソウルな‥!俺もソウルやってんねん!!」
という会話に特に意味はない。
ソウルって一体どんな音楽なんだ?答えてみろ。


アキラはその頃フェルナンデスのテレキャスでCHARのリフのコピーとかを一生懸命やっていた。他は出鱈目なのにギターの練習には夢 中になるタイプだった。。

ライヴハウスの隣に餃子の王将がありそこに同年輩の川村がいた。川村は四国出身で高校卒業後すぐ大阪に来て、王将で働きながら大阪の 電子専門学校に通っていた。
俺は川村に
「俺に付いて来たら絶対ビッグにしてやるから俺とバンドをしようゼ。」
と言い
「ベースなら出来るかも知れない」
という川村に出鱈目なフレーズを作り教え弾かせた。川村は楽しそうにベースを弾き時折自分で考えてコーラスを入れたりした。Oh  Yeah!!

ドラムスには中学校を卒業してすぐ運送屋の助手をしながらミュージシャンを目指していた堺を起用した。ある日の練習後、ミーティング も兼ねて超大盛りカレーライスを三百円で食わせてくれるうどん屋に行こうと言う話しになった時
「オレ今日金無いからマクドにしよーや。」
と堺がどうしても譲らないのでマクドナルドに行き、最初飲み物も何も頼まず二百円出して買ったハンバーガーをとても大事そうに少しず つ齧り、ミーティングの成り行きを見守りながら時々大胆な発言をしていた堺は、徐々に空腹に耐え切れなくなり最終的にハンバーガーを 五つ食ったりしていた。(ワッハッハッハ。千円~。堺~w)

俺たちのバンドに打ち合わせはなかった。いきなり音を出した。俺のスリーコードの荒削りなオリジナルだった。
俺は8ビートのスリーコードをかき鳴らし日ごろの憂さと鬱憤を喉が潰れるほどがなり立てた。アキラは俺の8ビートに16ビートで刻ん だリフを被せた。
「俺の8ビートにアキラの16ビートが絡んでうねりを立てている。俺達の音楽は新しい。」
と俺が言うとアキラも川村もとても喜び同意した。

俺はがなり立てた。

「オイラどうやら死にそびれて命を半分手に入れることが出来た  誰か足の鎖をほどけ  誰か足の鎖をほどけ」と。

「そんな時に そんな時に ドアをノックする音がする そんな時に そんな時に 誰かが泣きながら」と。

「Fuck Yourself! このまま行けば あんたらみんな全滅さ 笑いを飛ばして帰ってきたチンピラ一人」と。

「Hey Mr.Crazy 踊りましょうよ あんたまで眠っちまうのか 月がポカリと笑う」と。

 
アキラはいつも俺の歌を聞いて感動しながらギターを弾いていると言ってくれた。川村も「お前面白い」と言った。アキラと川村の間にも 色々と楽しい事があったようだ。ぎゃはは。
   
(川村が「面白い」と言ったのは音楽そのものより俺という人間についてだった。時々、いやしょっちゅう、長々と喋る俺の「超複雑な感 情論」を真剣に集中して聞き、理解に努め、ひとしきり俺が話し終えるとその話の結論にいつも
「何でお前が言うとそうなんねん?」
と首を傾げて本当に不思議がっていた。しかし物事の筋道を通す俺の事を友人として又バンドリーダーとして一目置いてくれていた。対し てアキラの事に付いては時々、
「あいつどうにかなれへんのか‥!」
と俺に強い不満をぶつけながら、その一方で「バンドメンバー」として理解し合う為に一緒に飲みに行ったり一生懸命話しをしたりしなが らそれなりに上手く付き合っていた。時に二人の話が噛み合い、打ち解けた様子で俺の所に来てくれた奴等の笑顔は今思い出してもとても 懐かしく微笑ましい。)
    
川村は俺に彼女が出来た頃「お前、話しが違う。」と言ってバンドを抜けた。
その頃には川村は王将のバイトもも専門学校も辞めてしまっていて、
   
(俺が辞めさせた様なもんだが‥。その頃俺はバンド練習の日程の変更、メンバーの欠席を「絶対」に認めなかったから‥。その王将の大 将は俺のボサボサの髪の毛の事を「石川五右衛門みたいな頭」と言った。暗に「泥棒」と言っていた訳だが「石川五右衛門」という辺りに 「大泥棒よ、大志を抱け。」という励ましも込められていると俺は勝手に思っていた(煮え殺されるのは御免だが‥。)。なけなしの小銭 を集めて飯を食いに行くといつも「超大盛り」のご飯を出してくれたその王将の奥さんはその時、顔を少し引き攣らせて大将に無言の抗議 をしながら絞り出す様に俺に微笑んでくれた。感謝してい(ry )
   
その後ホストクラブで売れっ子になったらしい。時々ミナミでばったり会って近況を聞いたりした。俺が教えた鮎川誠の鮎川を名乗り、革 のコートを纏い嬉しがっていた。川村は色気のある男だった。
  
(それから二十年も経ったある日の晩、俺は突如川村の夢を見た。夢に出てきた川村は・・女だった。メイクアップが自然で美しく、「女 ではあるが川村として」夢の中で艶っぽく俺に話し掛けた。そこには不自然さは全くなかった。その日夢の中に出てきた川村は、表現する のが難しいが「夢のように甘い存在」だった。夢から目覚めてまるで「思春期に同級生の女の子の夢を見た後の様な淡い気持ち」の俺がそ こにいた。今その夢を思い出しても・・夢の中の川村は「いいオンナ」だった。川村は本当に「色気のある男」だった。)

・・・・・。


アキラはパチンコ屋とライブハウスを経営するレジャービルの俺の住み込みのタコ部屋にしょっちゅうやって来た。飯目当て、宿目当ても あったのだろう。

アキラがレジャービル裏口の階段から二階に登る社員食堂に勝手に入り込み、電子ジャーの飯をよそい鍋の中のおかずを適当に見繕って 食ってたりしたので食堂のおばちゃんに見つかってよく怒られた。
時には俺を雇ってくれた経営者に俺が呼び出され注意を受けたりしたが、
「そういう事をしていて他の社員の人の金品が無くなったりしたら君の友達が疑われるから‥。」
という経営者の情のある言葉に俺が
「俺の友達にそんな悪いヤツはいません!」
と目茶苦茶な居直り方をするので逆に経営者の方が
「だから君の友達に悪いヤツがいるとかそういう事を言ってるのではなく‥、」
とシドロモドロにさせ困らせたりしていた(ごめんなさい)。とにかく俺達の無茶は限度がなかった。手のつけられないヤンチャ坊主達 だったろう。しかしまあ良く可愛がられていたものだ‥。


ある日、アキラはよそのバンドのライブを乗っ取ろうとした。
突然ギターを持ったアキラがステージに上がり込み、ボーカリストをマイク前から追い出しいつもの様にエヘラエヘラととぼけて笑ってい る。ステージも観客席もざわついている。

ボーカリストが気を取り直し笑顔を作って「誰?自分誰なん?」と聞く。
「え?ああ僕?僕CHAR。CHARです。ヨロシク!」
とアキラが言っている。手の付けようが無い‥。
PAルームにヘルプに来ていたスタッフから俺に指令が飛ぶ。
「あれ自分の連れか?降りさせろよ。ボーカル怒りよんぞ。」
俺はステージ前に行ってアキラに言う。
「アキラ、あかんねんて。降りろ。」
「何でや?何であかんねん?」
俺に言われてそれまでのアキラの笑顔が消える。
「あかん言うとんねん。ええから降りろって。」
アキラは不満げにステージを降りた。
「誰や、麻倉?誰が言うてん?」
憤慨しているアキラに俺はPAルームのそのスタッフを指差した。
「あいつか‥、あいつが言うたんか‥。」
アキラは怒っていたが俺は入り口のチケットもぎの仕事に戻った。

暫くしてバタバタッとホール内から音がしたかと思うとバーンッと入り口のドアが開き、さっきのスタッフの仲間がいきなり凄い勢いで俺 に食って掛かってきた。
「お前こいつに何言うてんっ!」
何かと思う間もなく続いてアキラが飛び出してきてそのスタッフに掴みかかる。俺もそのスタッフの食って掛かってきた倍ほどの勢いでそ の胸座を掴み上げ
「俺が何言うたゆーんじゃコラッ!」
と怒鳴り上げる。それでそのスタッフの逃げ場は完全に失われた(アキラに俺が指差したスタッフと間違えられたのだ。その時には何が起 きているのか分からなかった。)。

ライブ乗っ取りを制止されたアキラの怒りは考えられない位凄まじかった。恐らくは普段から俺がアキラに言っていた「邪魔するヤツは殺 して通る」という言葉をそのまま具体化していたのだろう。
遂にアキラは彼を引きずり倒し殴る蹴るの暴行を加え、何の身に憶えもない彼はアキラの勢いに崩落し、泣いて土下座しながら
「許して下さい!勘弁して下さい!」
と哀願している。
それでもまだアキラの怒りは収まらない。アキラの要求はこうだった。
「あかん!お前!顔出せ!顔蹴らせろ!顔隠すなゆーとんねんっ!」
アキラにとって俺の言葉とは大体にしてその様なものだったのだ。アキラは誰と話す時でも最後にこう言った。
「でもな?麻倉はちゃうで!麻倉はパワーあるで!」と。

平和な休日、部屋でギターを弾いて歌っていたら俺の部屋でウトウトしていたアキラが、
「俺幸せやのぉ。麻倉の歌聞きながら寝れて‥俺幸せやわ‥。ムニャムニャ‥。」
と言う。子供の頃母に同じ事を言われた事があった。息子の歌を聞きながら寝れるのが幸せだと。あれは一体何なんだろうと今でも思い出 す。本気で言ったのだろうか?多分そうなのだろうと。そんな事を思い出すたび俺は歌いたいと思う。


まあそんなこんなで俺達の世界には「壁」がなかった。人がたくさん集まってきた様な気がする。壁に辟易した若い奴らが。そして当時大 阪で火がついていたパンクロックが全盛期を迎える頃(ムーブメント‥。始まりが何であれ集団化すれば凡庸な結果は目に見えている。祭 りをするのは勝手だが。)、俺はライヴハウスを辞めた。
「もう音楽の勉強はした。これからはミュージシャンになろう」
と思ったからだ。次に住むところも次の仕事も決めず貯金も全くないままライヴハウスを出た。
天王寺と阿倍野の駅の間のマクドナルドの前で宿無し職無し金無しで座っていると隣にホームレスのおっちゃんが座っていて、彼と自分が 「状況的に同じ」であると感じ一瞬恐怖を感じた。しかし彼と俺は全く違った。俺には新しく作った友人がたくさんいたし親もいた。そう いうトコは「甘ったれ」と認めねばならない。いくら粋がったところで生きていられたのは人のお陰なのだ。

その後すぐ西成で日雇いの仕事を始める事になる。友人に良いところを教えてもらって履歴書を持って、
「○○さんの紹介で‥」
と面接に行ったらその日雇い労働者斡旋業の社長、通称「オヤジ」は笑っていた。あそこに履歴書を持って行ったのは後にも先にも俺位 だったのだろう。
日雇いの仕事でもよくすっぽかした。本当に勝手気ままだった。前日電話予約しても朝気が向いたら仕事をすっぽかした。度がひどいとオ ヤジが怒って二~三週間仕事を干されたりもしたが。

気が向いたら道端でしゃがみ込んだ。今でこそ若い奴が道端に座ってたりするが、その頃は俺以外にどこかの壁にもたれて道端にしゃがみ 込む様な奴はいなかった。眠たくなったら寝転んで寝た。
とにかくその様にして俺は「壁」を無くして行った。

今思う。
人は壁を拒否し壁を求めるものだ。
俺もアキラも、川村も、女の子たちも、みんなだ。
壁が全くない世界っていうのは人間には過酷過ぎる。
でも、俺は今でも
「おお、やろうぜ!」
と応えてくれたアキラを信じている。
ドンくさい事を言ってちゃ何にも出来ないってのも確かな事なのだ。