schizophrenie


chapterⅠ



誰も知らない春



家を出たのが十六歳だった。

学校を辞めた俺が家で家族と一緒に生活する事は「ある理由」により許されなかったからだ。

母に「何でもいいから住み込みで働かせてくれる所を探して来なさい」と言われ、従業員を募集していそうな適当な割烹料理屋を見 つけ、「ここで働かせて下さい」と押し掛けたらそこの奥さんが気に入ってくれて働かせて貰う事になった。

そこの親爺さんが元ヤクザの組長だったとかで、その頃には足を洗って堅気になり割烹料理屋を経営していたという事らしく、「ウ ンザリする程生きているのが嫌だが母が泣くので遂に死に切れず、どうせ嫌々生きるなら漫画の主人公みたいなヤクザになって常識外 れな程ドラマチックに格好良く生きてやろう」と開き直っていた俺の新しい門出には中々良いシチュエーションだったかも知れない。

面接に行った際俺の話を聞いてくれた奥さんが
「君の話は良く分かったから一度お母さんを連れて来て話をさせてくれる?」
というので母にその旨を告げ同行してもらった。
奥さんは面接の時にいたく俺を気に入ってくれたらしく、母に「この人すっごい正義漢!」と言った。当然母は喜んだし俺は久々に鼻 が高かった。
割烹料理屋の住み込みの文化住宅まで母に車で送ってもらい、共同部屋での生活が始まった。

現実に臨死体験をした少年の新しい門出の最初の装いはそれは派手なものだった。
髪をポマードでオールバックに固め、漫画みたいにダボダボのバギーパンツを穿き、腹にはさらしを巻いてそこに匕首を呑み、肩に木 刀を担いで歩いた。
そのまま電車に乗り込んだ。

電車の中で「そうするのが当然」みたいに気持ち良く煙草を吸っていたら、巡回の車掌がこちらを見ながら歩いて来る。年の頃は俺 より五つ上と言ったところか‥。
目が合うと車掌は「今度俺が戻ってくる前にそれ消しとけよ。」と言って歩き去った。
そんな車掌の言動に俺は、「世の中って勉強になるなぁ」と改めて感慨深く思い、自分が選んだ道が間違いでなかった事を確認する。

ある日連れとどこかの大きな公園辺りを歩いていたら連れが「もう疲れたぞ」と情けない事を言う。
「じゃあヒッチハイクでもするか」
と適当に通り掛かった車に手を上げて止めるとそれは如何にも暴走族風の車だった。
車の中から正真正銘のヤンキー二人が目を細めて俺達を睨み付ける。
「悪いけどちょっと駅まで送ってや。」
俺の言葉に「納得出来ない」といった感じで、それでもドアロックは外され俺達は車に乗り込む。
「兄ちゃんええ度胸してんのぉ。ワシらがワルやったらどうするんで?」
一呼吸置いて、片方のヤンキーがとぼけた笑顔を作ってトッポく言う。
もう片方のヤンキーは納得の行かない事態の成り行きに目を細めたまま険しい表情で無言の抗議を続けている。
連れが緊張に表情を強張らせながらチラッと俺を見る。
すかした様子で窓の外を流れる風景に目をやったまま
「俺いつ死んでもかめへんで?」
と俺が言うともう片方のヤンキーも笑った。




仕事の日には高等学校では穿けなかったボンタンの学生ズボン(友人がくれたのだ)にダボシャツ、その上にスイングトップ (ジェームス・ディーンのシンボルだと聞いていた)を羽織り共同部屋から十分程の道を歩いた。
駅前から商店街の一つ目の角を曲がった何の変哲も無い住宅街だった。
春の日差しが俺の自由を完璧とも言える程に祝福していた。

他にする事もないので誰よりも早めに店に出て洗い場のシンク辺りをあーでもないこーでもないと眺めていたら、奥さんが降りてき て眩しいものでも見るみたいに俺に色々話し掛けてくれた。(美味しいモノも食べさせてくれた。笑)
「前略おふくろ様」の主題歌を口ずさんだりした。

そんな俺に淡い想いを抱く、まるで「ポニーテール」みたいな女の子がいた。新しい人生を歩き始めた俺が生まれて初めてナンパし た女の子だった。

その日彼女は高校の入学式の帰りで、女友達と二人で食事をしていた。
テーブルの足元に置かれていた彼女の紙袋には、新しい教科書がぎっしりと詰められていた。
俺は「それ持ってやるから。」と半ば強引に彼女達を店の外に誘い出した。そして「どこに行こうか‥?」と迷いながらも「どこでも いいか‥。」と思い、店を出てすぐのショッピングモールのベンチに座り込んだ。

彼女は戸惑いながらも迷惑そうではなかった。
彼女は物怖じしないタイプで、俺の派手な風采、行動に付いて彼女自身の好奇心を交えながら質問し始めた。
俺にあれこれ質問する彼女に俺は生まれて初めて、自分自身の言葉で自分自身について語り始めた。

自分自身について語ると言ってもその大方は「まだ分からない事ばかり」だったから、知りもしない聞きかじりのジェームス・ ディーンの話、何度か文通し交際している事になっていたが結局は別れる事になった遠い所に住んでいた彼女の事、本当に死んでしま いたかったが死にきれなかったので開き直って生きている事等について話したと思う。
もちろん俺も彼女について、好奇心を交えて質問を返しながら(それはとても素敵な体験だった)。

彼女は「俺が死のうとした事」については「フーン‥。」と考える様に相槌を打っただけで何も言わなかった。
ただ彼女は話の最後に繰り返し訴えかける様に
「私はあなたの、その『別れた彼女』じゃないのよ?」
と俺の目をしっかりと見つめ何度か繰り返した。

その間隣のベンチでは、誰が見ても「これ以上見当違いな組み合わせはないだろう」という、いかにも人相もガラも悪い俺の連れと 華奢で無口で真面目で大人しそうな彼女の女友達が、時々全く交わらない言葉を交わしながら(話題があれば奇跡だっただろう。笑) 俺と彼女の話が終わるのを辛抱強く待っていた。

彼女の女友達はずっと虚空を見つめたまま何かを考えているみたいにも見えた。そして俺の連れは次第にそんなムードから完全に取 り残され、珍しいものでも見るみたいに暫く俺を眺めていたがついに辛抱し切れず、「なぁ、いつまで喋るんで‥?よぉ喋る男や のぉ‥。もう帰ろうや‥。」と俺に告げたのだった。

春の午後の太陽がほんの少し傾きかけていた。




帰り際に彼女から電話番号を聞き出しその日の夜のうちに彼女に電話をした。

最初電話には彼女の妹が出て、俺は自分の名前を告げ、彼女に取り次いでくれる様頼んだ。電話に出た彼女は「今お風呂上りで服を 何も着ていない。」と言った。俺は「服を着た頃にもう一度掛ける」と言って電話を切り、暫くして再度電話をした。

服を着終わった彼女は「電話の男の人誰なの~?」と妹に冷やかされたと言って嬉しそうに話し出した。

色々な話をした。
彼女が家に帰ったらまず自分の部屋に張ってあるジミー(ジミー・ディーン。ジェームス・ディーンの事だ)のポスターにキスする話 や、乗馬クラブで可愛がっている馬の事、彼女が俺の名前を好きだと思う事(その時以来俺はそれまでどちらかと言うと嫌いだった自 分の名前を『世界一素敵な名前』だと思う様になった。)等についてたくさん話した。

その後も彼女には何度も電話をした。電話に出る彼女はいつも必ずお風呂上りで服を何も着ていなかった。その度俺は彼女が何か服 を着てくるのを辛抱強く待った。

そして服を着終わった彼女とまた様々な事について話した。彼女はいつも真剣に考えながら話しをした。

そんな風に女の子と話をするのは俺にとって初めての経験だった。俺はそれらの話の持つイメージを一つずつ、「一度は壊れてし まった自分の人生の指標」に追加して行った。
持っている僅かな金をポケットいっぱいの十円玉に両替し、家に設置されていたピンク電話がそれを受け付けなくなる迄一枚一枚投入 しながら。

彼女とは二、三回デートをした。
俺は初めてのデートの時に許される予算の中からバラを一輪買い、見知らぬ町の見ず知らずの喫茶店のマスターに「後で来ますから預 かって貰えませんか?」と頼んでその一輪のバラを預け、待ち合わせた彼女をさりげなくその喫茶店に誘い、その喫茶店のテーブルに セットしておいたバラを彼女に手渡した。彼女は「気障やなぁ‥。」と少し嬉しそうにはにかんだ。

クレープというものの存在を生まれて初めて知った。
初めて見る町の駅で(その頃まで俺はある理由によって生活圏以外の場所に行く事を固く禁じられていたのだ)待ち合わせた彼女に、 「どこか行きたいトコある?」と聞くと彼女が「あそこに素敵なクレープのお店が出来たらしいねん。そこに行きたいねんけど‥。」 と言うので、「じゃあ行こうか。」という事になり駅前の歩道から幹線道路を横断し、そのショーウィンドウ風の店に入って行った。

ガラス張りの店内のテーブルに面した壁は鏡張りになっていて、サンプルのショーケースには今どこにでもある様な半扇状のクレー プではなく、フランス料理みたいにフルーツやクリームを適度にセンス良くあしらった色とりどりの「不思議の国のアリスみたいなク レープ」がまるでディズニーランドみたいに飾り付けられ並べられていた。
その素敵なクレープ達のどれを選ぶかを二人で相談した。彼女は「イチゴとチョコレートソースのクレープ」がいいと言った(確かそ うだったと思う。ひょっとしたらチョコレートソースじゃなかったかも知れない)。

注文を済ませてテーブルにつき、初めてのデートに緊張しながらクレープが運ばれて来るのを待った。暫くしてクレープが運ばれて きた。
俺はテーブルに運ばれて来たその「見た事も聞いた事もないおとぎ話みたいな食べ物」に緊張し過ぎぬ様少しずつ口に運びながら、い つもと変わらぬ様子を懸命に堅持しつつ、いつも電話で話す時の様に彼女に話しかけた。
多分彼女も、いつもと変わらぬ様子を懸命に堅持しながら俺の言葉に相槌を打ち話していた。

楽しいデートになる予感が二人を包んでいた。
いつもと同じ気恥ずかしさと「もっと二人が親密になれる」という期待が、二人の胸をその素敵なクレープみたいに震わせていた。

しかし間もなくして彼女が「気付いてはいけない何かに気付いてしまった」とでも言った風に突然戸惑いの表情を浮かべた。
その瞬間俺には何が起きたのか全く分からなかった。「何か言ってはいけない事を言ってしまったのだろうか?」と躊躇したのを憶え ている。それからと言うもの彼女の俺に対する相槌は急速に力ないものに変わっていった。

「どうしたの?大丈夫?」
と尋ねたのか尋ねなかったのか、しかし彼女は少しずつ無口になり、次第にクレープにも手を付けなくなり、遂には全くの無言になる とテーブル横の鏡の方を向いたまま、自分の「眉間の辺りのそれ」を指でそっと触れる様にして気にし始めたのだった。そして「そ れ」に気付いてしまった事で彼女の中に急激に膨らみ始めた憂鬱は、隠し切れない様にして急速に彼女の表情に現れていった。

長く引き伸ばされた様なほんの束の間の出来事だった。
その日駅で会ってからクレープが運ばれて来る時まで気付かず気にも留めなかったが(ひょっとしたらその時にはまだ無かったのかも 知れない)、見ると彼女の「眉間のそこ」にはうっすらと、桃色の小さな「ニキビ」が出来ていたのだった。

彼女は突然「ガバッ」と立ち上がり、なんて言うんだろう‥、まるで何かを振り切るみたいに一瞬の間に「あっと言う間」に店から 走り去り姿を消してしまった。
それは恐らく俺がこの人生で初めて経験した「微妙な女心」というヤツだったのだろうが俺は驚いている暇もなく、慌てて清算を済ま せ彼女の後を追った。
が、彼女は瞬時にして完全にその場所から姿を消してしまっていた。

完璧だった。
その後もずっとある種の歌を聞いたりする度にその時の彼女の姿を思い出す。
それは「今でもそこにイメージとして存在し続けているんじゃないだろうか?」という様な気にさえさせる。
その時彼女は十五歳の少女だった。見事だったとしか言いようがない‥。




それからも彼女とは変わらず電話でも話しデートもした。

彼女の腕を取り、さりげなくしかし強引に自分の腕に絡ませる俺に、慌てて手を引っ込めながら「大胆やなぁ‥。」と照れて俯き恥 ずかしそうに言う彼女がそこにいた。

その日の夕暮れ時、俺が働き出す前に住んでいた町の駅裏の公園で、シーソーやブランコ、タイヤで出来たベンチに座って長い事二 人で話をした。その時のイメージはずっと形を変えないまま記憶しているが何を話したかのは良く思い出せない。

ひょっとしたらその時二人は「生まれて初めて恋に堕ちていた」のかも知れない。
夕暮れの公園で、少し俯き加減に愛しそうに話す俺の記憶の中の彼女は、ほんの二ヶ月前に出会った時よりも少しだけ大人になってい た。

彼女が突然姿を消したその日、何かに腹がたった訳でもなければ俺が嫌だった訳でもなかったんだと思った。
そしてその日の事はお互い言葉では触れず「謎」のままにして、俺達は時々電話で近況報告したりしながらお互いの人生を歩み続ける 事になった。

今俺はこう思っている。
俺は彼女にとって「大切な少年」だった。彼女にはその時「彼女の大切な少年を守るためにそうしなければならない理由」があった、 と。
自分に都合の良い言い方かも知れない。だけどそれが最も的確な言い方だとも思う。

俺が大阪に来る事に決めたのは、彼女が小学校を卒業するまで住んでいた大阪の話を、その頃に彼女から聞かされていたからかも知 れない

彼女は素敵だった。憧憬、憧れという言葉に触れる度、俺は彼女の事を思い出す。
僅か半年に満たない、それはまだ硬い花の蕾の様な誰も知らない春の日々の事だった。




さて‥

世間知らずの癖に粋がってぶつかる相手に片っ端から「命なんかいらん」と食いついて歩いていたらある日、狂犬の様に本当に後先 考えない暴力的なタイプの若いチンピラにスパパパーンとやられ「すみませんでした」と謝らせられ自分の認識の甘さを思い知らされ た。

「いくら命がいらないからと言って本当にどうでもいいモノの為に命を掛けられるか?」とかそういう事だったのだろうが、その時 には情けなくて凹みそうになった。

「こりゃヤクザで日本制覇なんて俺には無理だ。どうしよう‥。」
(ヤクザで日本制覇する気だったらしい。笑)
と思っていたら、その頃偶然同じ様に高校を中退した中学校時代の同級生が
「お前、ロックせーへんか?」
と電話を掛けてきて俺は「これだっ!」と思ってその話に乗る事にした。

割烹料理屋で働き出してから三ヶ月程経っていて貯金が七万円程あった。

俺は
「今度は大阪に出てロックをやってビッグになろう。」
と決めたのだった。(ギャハハハハ)

しかし‥、折角何やかやで周囲の人達を派手に巻き込んで迷惑を掛けていた俺が「手に職を付ける」という事で「一件落着」という 雰囲気になっていたのに、「音楽をする」と言い出したものだから応援してくれる人達と落胆する人達がいたがとにかく双方とも動揺 させる事にはなった。
俺がドロップアウトするに至った理由をある程度知っていた人達は応援してくれたし、母を気遣っていた人達は大体にして落胆した。
止めても無駄なのをそれまでの経緯の中で、俺自身に嫌と言うほど思い知らされていたので誰も反対はしなかったが、それでもそれに ついての説教はいくらか受けた。

六月に十七歳の誕生日を迎えた。
母がこっそり共同部屋の文化住宅の近くまで車で来てくれて、その車の中で母が買って来てくれた俺の為のバースデーケーキを母と二 人で食べた。

「音楽をする事に決めたから仕事を辞めます。」
と言った俺に割烹料理屋の親爺は
「そこで枕を涙で濡らして一人前の板前になるんやないか!」
と怒ったが、その言葉はその時の俺には全く聞こえなかった。

奥さんが
「三十歳になっても四十歳になっても音楽をやめた時はいつでも戻っておいで。それが例えいつでも又絶対にうちで雇って上げるか ら。」
と言ってくれた。死ぬほど感謝している。

その次の休日に大阪の不動産屋に行き
「四万円で部屋を都合して欲しい。雨露がしのげたら何でもいい」
とまた無茶を言ったが、かなり無理を通して保証金も分割にする形で、三畳一間の部屋を紹介してくれた。
その時の不動産屋のお兄さんが
「何か大阪で分からない事があったらいつでも相談においで。遠慮しなくていいから困った事があったら絶対においで。」
とその近辺の地図を俺に手渡し言ってくれた。目茶苦茶感謝している。

アパートを契約して割烹料理屋での最後の仕事が終わった夜、俺は住み込みの共同部屋で、俺のギターの入ったハードケース二本を さらしでくくりつけて台になる様に固定し、ボストンバッグをその上に乗せ右手に持ち、左手にその中学校の時の同級生から「ロック の勉強をする為」に借りたエレキギターとあと二つのボストンバッグを持ち、もうすぐ発車する大阪行き最終電車に向かって走った。

前方から俺に向かって走ってくる夜の景色がその後の人生の予感を告げていた。
季節は春から初夏へと移り変わっていた。