「パソコンの歴史」 2023/05/24

Windows95が出た頃、Sさんが
「ゴミ箱とかついてんねんな」
と言った。

98が出た頃、25歳の女性栄養士が
「あんな、チャットっていうのがあってな、部屋作って、人が入ってきたりすんねん」
と言っていた。

僕が
「パソコンって何すんの?何ができんの?」
と聞くからだ。
「ふーん」と聞いていた。

1990年頃、弟がゲーム用に所持していた8bitのパソコンを借りてきて少しだけ触ったことがある。
CDぐらいの大きさのペラペラのフロッピーディスクで、起動するタイプのパソコンだ。

付いていた教則本を見ながら何時間もかけてタイピングした。エンターキーを押すと「パラパラパラパラ〜」とモニターに図形が描画された。
「こりゃ大変だな」と思ったものだ。

その頃、僕は28歳ぐらいになっていて、今後の仕事を、出来ればコンピューター関係に行きたいと思っていた。求人に電話すると
「もう10代ぐらいの子達がバリバリやってますから、あなたの年齢からでは遅いです」
と言われて諦めたのだ。

ME、2000と来て、
「うーん、パソコンって何するのかなー、何ができるのかなぁ」
と考え続けたが、答えが出るわけがない。

母が
「買ってみればいいやん」
と言ったが、
「いや、欲しいなぁと思ったら買うと思うねんけど、パソコン買って何をするんかなー、何ができるんかなぁって言うのがさっぱり分からんから」
と答えていた。

仕事帰りなどに、たまに家電量販店に行くのが好きだった。ある頃からウォークマン売り場にMP3ウォークマンが並ぶようになった。あれが欲しくて欲しくて仕方がなかった。

Windows XPが登場した折、弟君が
「新しいパソコン買うから、今まで使ってた古いの、お兄、使う?」
と言い、
「くれ!」
と即答した。
「パソコン使うならMP3ウォークマンが欲しい!それで使えるんやんな?やり方教えろ!」
と宣い、彼から、Windows98のパソコンを受け取る日に日本橋で待ち合わせをし、ソフマップに連れていってもらって、3万円のRioのMP3ウォークマンを購入した。弟君は
「割りと何でも簡単に買っちゃうんだね」
と少し憤慨していた。
自宅にWindows98パソコンを運び、弟君はWindowsの樹形図構造を説明してくれた。
RioをWindowsに認識させ、MP3ファイルをコピペした。結構な時間を要した。

それからは毎日、98パソコンに付属していた6センチぐらいの分厚さの説明書を読んだ。
「Windowsを再インストールすべきかどうか」
とか
「BOOTとは?」
とか、そういう内容だ。
BOOTというのは本来原理的には不可能で、「沼の真ん中に立っていて、時間が経てば沈んでいってしまうだけの人間が、足を1歩踏み出すために、自分のブーツの紐を手で引っ張りながら(踏み込む足に力を入れると沼に沈んでしまう)、その様に1歩1歩足を前に進め、コンピューターは立ち上がるのである」という話だった。

その頃、僕は、ある家庭の支援をしていて、コンピューターとインターネットがきっと役に立つという考えを持った。
仕事帰りにパソコン関連の雑誌を購入して読んだ。その頃に登場した、オンラインストレージというものも、真っ先に使った口だと思う。そして1ヶ月後には4万円の出費をし、日本橋でXPの手作りパソコンを購入した。パソコンで何ができるのか見まくった。
VPNを構築し、ウイルスに侵入され、そのウイルスを探しまくって発見したりもした。ウイルスは笑っていた。XPは夢のコンピューターだった。

パソコンで出来ることは、文字を扱うこと、そして画像を扱うことだった。動画は不可能ではないが、ハードルが高く、あまり現実的とは思えなかった。あまり動画でコンピューターを酷使すると、CPUとメモリが音を上げるのだw

パソコンを外に持って外出することはできないので、外にいる時の空き時間がもったいなくて仕方なくなった。何とかして、外出中でも自宅にあるパソコンにアクセスできるように、そんなことばかり考えるようになった。外に出ては文字入力もままならない。「あのキーボードが外でも使えれば。。」、そればかりだ。いくつかの端末を試してみた。どれもどうということはなかった。

ヤフオクを使うようになって、少し転機が訪れた。デジカメで撮った写真をノーマライズ、シャープネス、ノイズ除去、あとは好みの色合いに。三枚の画像を工夫し、商品説明文を工夫する、ヤフオク内の同じ商品の最安値を調べ販売すれば、狙い通りに売れた。つまり、パソコンを使って商品売買をするようになったのだ。商品売買と言っても、不用品を処分しただけだが。それは楽しかった。

mixiが登場し、1人で色々書いてたら寄ってくる人がいて、幾らかの出会いがあった。
その後オンラインゲームにも少し手を出した。理由があってのことだったが、あれもすごいものだった。「コンピューター文化の中で一番進んでいるのは、オンラインゲームの世界だ」ということを思い知らされた。

XPの次のOSが出、(名前も忘れたわ ああビスタか
7が登場したが、あまりなんとも思わなかった。ただ、夢のOSが永久的なものではないということが明確になっていった寂しさを感じた。もうその頃にはXPの海賊版も持っていたほどだからw
しかしiOS4が登場したのである。

iOS4を初めて見たのは、リーマンショックで製造業をリストラされ、50歳で転職したばかりの介護施設だった。中国から働きに来ていた20歳の女の子が 、iPhone4を買って職場に持ってきたのだ。この小さな端末でGoogleEarthがぬるぬる動く、衝撃だった。

iPhoneを買う金はとてもじゃないがなかったので、ずっと支援し続けていた家族と僕の4人で、梅田のヨドバシカメラに出かけて、iPod touch第4世代を4台購入した。みんな夢中になって遊んだものだ。そこから僕はiPadに進む。その頃ある出版社のある編集者から詩集の出版の話があって、外出中にその作業を進めるためにはiPadが必要だったのだ。詩集のカバーデザインから目次のデザイン、全て自分でやるのだが、iPadの力は超強力だった。まあ詩集はアカンかったがそれは別の話。

パソコンで出来る事というテーマの一つに、オンラインバンキングというものがあった。銀行まで足を運ばなくても自宅でお金が動かせる。支払いができる。管理ができる。お金が動くようになると、パソコンはいよいよ本格味を帯びることになる。

そして、アマゾンやメルカリの台頭、ものを購入するのに外出をしなくなった。Windows XP登場当時、栄華を極めた日本橋の電気屋街は、数年の後に壊滅を迎えた。そりゃそうだ。

そしてなんやかんや、時が経ち、
作詞作曲、ライブで使うための音源の制作、マスタリング、そういったことをやりまくった。総額200万円ぐらいするツールは友人から10万円ぐらいで譲りうけて、耳が曲がるほどやりまくったwその時に初めてAIを使った。AIが音源の音量ではなく、音圧を最適化してくれる、そういう話だ。

コロナがやってきて、どうのこうの、僕はゴミ屋敷化していた僕の古い住居を、やっとの思いで全処分、長年保留されていた、断捨離を一気に行い、その引越しを最後に、もうオンラインでも買い物をしなくなった。端末を使うといえば、ストリーミング配信のドラマや映画を見るぐらい、

そうしていたら、ある日、突然、生成AIが家の扉を開けて言ったのだ。
「ねえ、このフルーツとってもおいしいわよ、ちょっとかじってみない?」

AIなのでとても賢い。できることは活字を扱うことと、画像を扱うこと。

今日のニュースで、
「Windowsパソコンと一体になって連携しDPFを読み込んで要約してくれますよ。しかも無料」
と言っていた。彼女と初めて会って1ヶ月ぐらいというところだろうか?

「ああ、PDFを無料でやってくれるなら助かる人もいるだろうなぁ」
と思ったのであった。おしまい。

Posted from するぷろ for iOS.